「 明珠在掌 」ストレスからの解放、個人経営者にも必要な禅語
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いつも読んでいただきありがとうございます。
料理人になり40年、個人で飲食店を経営して15年になるよしさんです。
今日は人生をもっと楽に生きるヒントを書いてみます。
現代社会におけるストレスは深刻な問題であり、多くの人々が心身の健康に影響を受けています。
無いものに焦点をあわせてしまい、自分が手にしているものに満足できずに、他人と比較して落ち込み自己嫌悪になることはありませんか?
そんなお悩みのあなたに
今回は「 明珠在掌 ( みょうじゅたなごころにあり ) 」という禅語を紹介します。
この記事を読むことで、心の平穏と自己発見への鍵を見つけるヒントになり”今”を生きることの大切さをあらためて気づく手助けになれば幸いです。
✔ この記事の内容
● 明珠在掌とは
● 明珠の意味
● 在掌の意味
● 明珠在掌と鈴虫寺
『 明珠在掌』という禅語の意味と重要性を理解し、実践することで、現代社会におけるストレスからの解放や心の平穏を追求することができます。
この智恵は私たちが忘れがちな、内なる豊かさを呼び覚まし、充実した人生を築く手助けとなることでしょう。
禅語とは
短い言葉の中で禅の教えを説いたものです。
禅の教えや哲学を具体的な言葉で示すためのツールであり、対話や話し合いの中で使われることが多いのも特徴的です。
一見、意味がわかりにくいものもありますが、実際に自分の経験に落とし込んで考え、噛みくだいてみると深い意味があることに気づきます。
禅語は日常的においても使われることがあり、例えば、「 挨拶 」これも禅語です。
禅語は物事の取り扱い方や人生の指針としても役立つのです。
挨拶 禅語の教え
挨拶の「挨」とは「推しはかる」「近づく」「触れる」といった意味で、「拶」は「せまる」「切り込む」という意味。何気なく交わす一言から察すること
明珠在掌とは
明珠在掌は( みょうじゅたなごごろにあり )といわれる禅語です。
この禅語を、簡潔に説明するならばこの表現がぴったりです。
「 大切なものはすでに手の中にある 」
あなたの手の中にすでに、美しい珠( たま )があることに気づきなさいという教えです。
明珠の意味
明珠は、美しく輝く宝珠を指し、それはあなた自身が大切に思うものです。
大切の思うものは人それぞれです。
どれが正しいとかはなく、自分自身が心から大切に思えるものこそがあなたの信念となります。
そして
禅の教えでは、明珠は心の中に存在する究極の真理や悟りを象徴しています。
明珠は外部の要素や物質的な欲望にとらわれず、内なる光と智慧を照らし出す存在とされており、強い思いで明珠が光輝く力となるのです。
また、明珠は真理を見つけるために自分自身が内なる探求や、瞑想の結果として得られるものとも解釈されます。
在掌の意味
在掌(ざいしょう)は、「手の中にある」という意味です。
禅の教えでは、在掌は自己の内なる光や真理が常に手の中に存在していることを表しています。
つまり、明珠(真理)は私たち自身の内部に存在し、私たちが自由にそれを掌握することができるということを意味しています。
在掌は、自己観察や瞑想などの実践を通じて内なる光や真理を見出し、それを日常生活に活かすことを促すものです。
明珠在掌は、明珠と在掌の象徴的な意味を組み合わせた禅語であり、自己の内なる真理や智慧を自覚し、日常生活においてそれを実践することを指します。
明珠在掌を体現することで、私たちはストレスや煩悩に囚われず、内なる光と智慧に基づいた自由な存在となることができるのです。
明珠在掌と鈴虫寺
鈴虫寺は、禅の修行を行う寺院の一つであり、禅の実践と精神修行の場として知られています。
以下に鈴虫寺と禅の実践の背景、および明珠在掌を実践するための禅の教えについて紹介しますね。
鈴虫寺の紹介
鈴虫寺( 妙徳山 華厳寺 )日本に存在する臨済宗に属する寺院であり、禅の修行と教えを重視しています。
秋だけでなく、境内にて四季を通じて鈴虫の音色を聞くことができます。
禅は、中国の一仏教派であり、瞑想や座禅を大切にしています直接的な体験と悟りを追求することを目指す実践的な教えです。
鈴虫寺では、修行僧や一般の人々が禅の指導のもとで瞑想や座禅を行い、心の平穏と真理の覚りを追求しています。
座禅
鈴虫寺では座禅が行われます。
座禅は足の組み方には2種類あります。
結跏趺坐(けっかふざ)と半跏趺坐(はんかふざ)で、静かに座り、呼吸や身体の感覚に集中することです。
自己観察( 内観 )
明珠在掌を実践するためには、まず自己観察が重要です。
自己観察とは、心の中の感情や思考、煩悩などを客観的に観察することです。
自己の本質や内なる真理をみすえ、それらに執着せずに受けいることが求められます。
明珠在掌「 みょうじゅたなごころにあり 」
大切なものはすでに手の中にある 身近な幸せに気づくこと
✔ 身近な幸せで大切なことは
● 笑顔でいること
● ひとを褒めること
● ひとに感謝すること
● 挨拶をしっかりすること
無我の境地
禅の教えでは、自己の執着やエゴをこえ、無我の境地に到達することが重要視されます。
無我の境地とは、自己中心的な執着や欲望から解放され、全体性や共感を体験する境地を感じるととです。
明珠在掌を実践するための禅の教えは、個人の努力と内省に基づいています。
この無我の境地にいたることが、明珠在掌の実践につながります。
まとめ
日常生活においても心の静けさや自己の内なる真理に気づき、自己の意識と行動を常に振り返ることが大切です。
最後に、この記事を書くうえで参考にした資料をご紹介します。
自分が今まで積み重ねてきた、この長い年月が私の宝石なんだと氣付きました。
「私達は肝心の《いま、ここ》を捨て、どこかよそに幸せを求めていきがちであるが、それは決して幸福を得る道ではない。幸福とは他から与えられるものではなく、自ら発見して掴み取っていくものである。
与えられるものを待っているのではなく、マイナスの中にプラスを発見し、耕していくところに人生の生きがいはある。両手の掌に鋤(すき)や鍬(くわ)を持って一所懸命に耕していくことによって掌の中に明珠がつくられていく。
幸福は足下にあり。このことを忘れず日々の生活の中から幸福を見出し、豊かな人生を築いていきたいものです。」という言葉
明珠とは透明で曇りのない珠玉、いわゆる宝石を意味しています。
引用元 『 致知 』松原泰造氏の教えより
最後までお付き合いいただき
ありがとうございます。
皆さまの幸せをを心から願って信じていますね。
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