私と妻、そしてパニック障害 最終章 小さな1歩
見知らぬ土地、広島にて
パニック障害と言う「 心の病 」と
向き合いながら過ごした10年間
この10年は夫婦にとって
本当に濃い10年間でした。
妻と出逢って35年
来年の4月で結婚30年になります。
その節目として
昔を思い出して
これまでの夫婦の歩みを
書いてみようと思ったのが
この物語を書くきっかけです。
そして
この章がこの物語の最終章になります。
それでは
私と妻 そしてパニック障害
最終章のはじまりです。
赤松先生
K原 統括マネージャーに、
心療内科の受診を勧められたので
広島市内にある、心療内科を探しました。
当時はまだ、
インターネットも
普及していなかったため
電話帳での検索です。
条件として
仕事帰りに通いやすいように
勤務先から近いところで探して
ようやく1件見つかりました。
心療内科 赤松医院
そこは、古びた階段を登る
雑居ビルの2階にあり
なんだか怪しい雰囲氣がありました。
また騙されるのではないかと
少し不安になります。
ですが
この時は、症状も悪化しており
夜中に、過呼吸に襲われたり
そのせいで、睡眠不足に悩んでいました。
呼吸の仕方を、忘れるというか
「 呼吸はどうすればいいんだ! 」と
不安になったり
窓が無い建物や
エレベーターに恐怖を感じたり
人生最悪の状態でした。
病院に辿り着いたものの
いざドアを開けるのをためらいましたが
その時、妻の顔が浮かび覚悟を決めました。
ドアを開けると
目の前にいたのは
若い看護師さんと院長の2人だけでした。
「 本当に、ここで良かったのかな・・・ 」
そんな気持ちになりましたが
この医院の院長、赤松先生の出会いが
私に
1歩を踏みだす勇気を与えてくれました。
院長のカウンセリングがはじまり
今までの経緯をすべて話しました。
院長は穏やかな顔で
丁寧に話を聞いてくれて、とても安心できました。
呼吸が苦しくなるメカニズムを説明してもらい
パニック障害では、決して死なないことも
わかりやすく丁寧に教えてくれました。
そして、この時に
あたたかい言葉をかけてくださいました。
「 自分を治す薬は自分がもっている
薬は治すのを手伝う役目です 」
だから
「 あせらずに、1歩、1歩 」
取り組んでいきましょう。
その為にも、
「 乗れる乗り物から始めましょう 」
と提案してくれました。
診察が終わり、処方された薬は
「 ソラナックス0.4mg 」
精神安定剤です。
この薬は乗り物に乗車する前に飲むこと、
この薬は、飲んでから効果が出るまで
およそ10分ほどかかると説明を受けました。
そして、常用すれば
肝臓に負担がかかるとも教えられました。
初めての精神安定剤
まさか、自分が飲むことになるとは
夢にも想っていませんでした。
心療内科で受診をして、
その1週間後が大阪での会議でした。
こだま 広島発 新大阪行き
大阪での会議の前日
薬は処方されたものの
新幹線に乗るのがとても不安でした。
それに、氣づいたのか
妻が今回だけは
大阪まで一緒に行き、
私が会議に出ている間
妻は駅の周辺で、時間を過ごして
一緒に待ち合わせて帰ろうと
提案してくれました。
なんとも情けない話ですが、
正直とても嬉しかったです。
その日、朝一番の新大阪行きに
乗るために最寄り駅に向かいます。
新幹線のホームについて
こだま 広島発 新大阪行き
二人で新幹線が来るのを待ちます。
待っているだけで
心臓が動きが激しくなり
鼓動が高まってきます。
すでに、薬は1錠飲んでいます。
それでも薬の効き目を感じられず
もう1錠飲みますが、まだ効いていない感じ
そこに新幹線が入ってきます
アナウンスと共に、ドアが開き
降りてくる人を感じながら
自分たちが乗る順番がやってきます
ですが
足が震えて、喉が渇き、動くことができない
それでも、会議には出なければ
そして、もう1錠と計3錠、薬を飲んで
妻と2人で新幹線に乗り込みました。
人の少ない席を見つけ2人で座りました。
新幹線のドアが閉まって
出発のベルが鳴り響いた時は、
今すぐにでも
外に飛び出したい気持ちになって
ガタガタ震えながら、
妻の手を強く握りしめていました。
妻が背中を優しくさすってくれて
あの時のように
「 大丈夫、大丈夫 」と声をかけてくれました。
それで、ようやく大きく呼吸ができました。
そうしてるうちに薬が効いてきて
新大阪にはたどり着けました。
会議には無事に出席できましたが、
今度は、薬を3錠飲んでいるせいで
身体はひどい倦怠感に襲われていました。
ふらふらした状態で
なんとか会議には出席しましたが
会議の内容は、
まったく頭の中に入ってこなかったです。
会議が終わりふらふらになりながら
やっとの思いで、妻が待つ駅に向かいます。
今度は帰りの新幹線が待っています。
新大阪駅には、夏休み期間
だったせいか家族連れが多く
子供が嬉しそうに新幹線をまっています。
その光景を見て
つい、自分と見比べてしまっていました。
子供は、あんなに楽しそうなのに
私は・・・
また、あの恐怖との戦い
ほんとうに、情けなかったです。
そんな姿を見て
妻が「 さぁ!帰ろう 」と
明るく言ってくれて、とても救われました。
恐くはありましたが、妻が隣にいることで
無事に家に帰ることができました。
家について、
妻とこれからの事を話し合いました。
毎回、大阪まで
妻が同伴すれば新幹線には乗れる
でも、交通費の負担が半端ない
独りで、行けるようになりたい
これ以上妻に心配をかけたくない
そんな想いでいっぱいです。
そして、表情はとても暗かったと思います。
その時、妻が目に涙を浮かべ
手を握りながら、
私に向かってこう言いました。
「 そんなに自分を責めないの! 」
「 2人で、明るい未来だけ信じていこう 」
「 大丈夫だから 」
この言葉は、30年たった今でも忘れられません。
ここから、夫婦2人での
パニック障害克服の日々が始まります。
一歩、一歩
新幹線で新大阪に行った日から
夫婦2人で
「 乗れる乗り物から乗る 」を始めます。
妻の提案で、
最初はバスに乗ろうと決めました。
休日には、2人でバスに乗る
まず、薬を飲んで
薬が効いてくるのは、約 10分後
そして、乗り込んで
1つ先のバス停で降りる。
次の休日は、2つ先のバス停までと
少しづつ、距離を伸ばしていきました。
それに慣れてきたら、
次はJRの在来線で練習しました。
その時は、妻と二人なら
JRの在来線で15分程度であれば
乗れるようになっていました。
JR線の在来線は比較的に大丈夫でした。
なぜなら、新幹線と違い「 窓 」が開けられる
そのことに、安心感を持てましたから。
JRの在来線に少しは乗れるようになり
次は、新幹線に挑戦です。
こだま 広島発 新大阪行き
新幹線は広島を出ると、約15分で東広島に止まります。
練習するには、ちょうどよい時間と距離でした。
最初は、15分の時間もとても恐怖で
薬は、3錠必要でした。
薬に対して、「 依存するのでは? 」との不安や
肝臓に対しての負担も心配でしたが
それでも、毎週欠かさずに練習しました。
練習の甲斐あって、新幹線に乗って
最初の5分を我慢できれば、
気持ちが落ち着いてきて
薬を追加しなくても良くなっていました。
それからの会議の時は、
妻が東広島まで付き添って、
そこから先は独りで大阪へ向かいました。
完治までには遠いですが、
一つクリア出来たことは
ほんとうに、うれしかったです。
後は、「 のぞみ 」に
乗れるようになろうと思いますが
「 のぞみ 」に乗れるよになるのは
それから2年後の話です。
苦難からの学び
パニック障害を発症して、3年経った頃
新幹線には「 こだま 」であれば
薬を飲んで、独りで乗れるようになりました。
この頃から、
心のメカニズムや自己啓発に興味が湧き
会議に出るときは、
新幹線の中で、ひたすら本を読みました。
広島から新大阪まで、「 こだま 」なら約3時間です。
往復で6時間
6時間あれば、本が1冊から2冊は読めます。
ひと月で合計6冊ぐらいは本を読む習慣に
この読書の時間が
自分自身を見つめ直す良い機会になりました。
色んな書物にふれるたびに
自分の視野が狭いことに氣付かされました。
あの頃、読んでいた本の中で
何度も繰り返し読んだのは
デール・カーネギーの「 道は開ける 」です。
その中で
リンカーンの言葉が好きで
何度も噛み締めながら読みました。
「 あなたが転んでしまったことに関心はない。
そこから立ち上がることに関心があるのだ」
この言葉には、勇氣づけられました。
妻に
前に一度聞いたことがあります。
「 離婚歴もあり、挙げ句にパニック障害
別れたいとは思わないの?」と
しばらく考えて
妻がこう言いました。
「 パニック障害には正直おどろいた、
でもそれを理由に別れたいとは思はなかった 」
「 どうして? 」とたずねると
妻がこのように話してくれました。
「 新婚1ヶ月で別れたと聞いて時はびっくりした、
でもあなたは、一言も相手を責める言葉は言わなかった 」
「 パニック障害のときも、正直に話してくれた 」
「 そして、どんなに辛くても1歩踏みだす努力をした 」
妻は優しい表情を浮かべながら
「 パニック障害を治すことより、うまく付き合っていこう 」と
笑顔で励ましてくれました。
妻の言葉を聞いて、
このパニック障害と一生付き合っていく
覚悟ができました。
あれから、来年で結婚30年、
ほんとうに、ほんとうに色々ありました。
色んな経験をしました。
色んな人に出会いました。
あの時、
小さな1歩を踏み出したことで
今では、すべて大切な宝物です。
最後に
私の好きな逸話を紹介します。
「 出会いたい人に出会うための法則 」
ある町に、一人の老人が座っていた
よその町から若者がやって来て
老人に聞いた
「 この町はどんな町ですか?」
老人は聞き返した
「 君は、どんな町から来たのかね 」
若者は言った
「 僕がいた町は、腹黒くて、たちの悪い人間が多かった 」
老人は言った
「 この町も同じようなものだよ 」
若者は、疑いの目で老人を見ると
町に入っていき
しばらくして
老人の言った通りの町であることを知った
ある日、別の若者がやって来て
老人に聞いた
「 この町はどんな町ですか?」
「 君は、どんな町から来たのかね? 」
「 僕がいた町は、親切で温かい人が多かったです 」
「 この町も同じようなものだよ 」
若者は、老人に感謝の言葉を伝えると
町に入っていき
しばらくして
老人の言った通りの町であることを知った
引用元|野口嘉則 「 鏡の法則 」より
自分の周囲の人は
自分の心を映し出す鏡です。
自分の表情や姿勢が整えば
鏡に写った自分が整います
これから、あなたはどんな人と
出逢っていきたいですか?
最後まで読んでくださり
ありがとうございます。
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