広島物語 誕生そして母の病気

2023年7月6日

広島

これまでお話した

 

広島での

妻と私の二人三脚で

歩んできた10年間は

いろいろありましたが

 

一言で表すと

よく笑い、よく泣いた

 

この言葉が

よく似合う生活でした。

 

今回の記事を投稿するのは

少しばかりためらいました。

 

母親のこと、家族のことを

皆さんに公表することになるからです。

 

しかしながら、いつの日か

まだ見ぬ孫が読んでくれるかもしれません。

そんな日がくることを心から願って

 

併せて献身的に寄り添ってくれた

妻への感謝の氣持ちを込めて

 

妻との生活を書いていこうと思います。

 

誕生

誕生

妻と2人で

パニック障害克服のため

電車に乗る練習をしていた時

 

突然、妻から、

「 練習は3人ですることになった 」

と言われました。

 

私はすぐに理解できませんでした。

 

「 どういう事? 」

 

「 にぶいなぁ~ 」

 

そう言いながら、

妻は自分のお腹を指差します。

 

「 えっ! あかちゃん 」と聞けば

小さくうなずいて

妻がニッコリ笑いました。

 

苦手な新幹線のホーム

そこで妊娠の報告を聞くとは

 

なんだか不思議な気持ち

だったのを今でも覚えています。

 

それから月日が経って

いよいよ生まれる日が来ました。

 

 

朝から妻の陣痛が短くなり、

出産のために

妻を病院までタクシーで送りました。

 

いよいよか・・・

 

そう思いながら

待合室でまっていると

 

看護師さんに呼ばれました。

「 先生よりお話があるそうです 」

 

私は、なんだろう?と思いながら

医師のもとをおとずれました。

 

その時医師に言われたのが

「 へその緒を首に巻いている恐れがある 」

 

そう告げられて、私はとっても驚きました。

 

「 妻と子は大丈夫なんでしょうか? 」

そう尋ねると

 

「 帝王切開になりますが、お任せください 」と

医師からそう告げられますが

その時は不安のほうが大きかったです。

 

それから、帝王切開のための

誓約書を書かされました。

 

妻の病室に行き

「 帝王切開になるようだ 」と告げると

 

妻は全く動揺していませんでした。

 

あの時は

「 この人の心臓には毛が生えている 」と

正直言って思いました。

 

母は強しです。

 

妻の手術が始まり、

妻は2階にある手術室に向かいます。

 

私もついて行こうとしましたが

看護師さんに

「 ご主人はここで待っていてくださいね 」

 

そう言われて、妻の病室がある

5階で待つことになりました。

 

どのくらいの時間

待ったのかは覚えていません。

ただただ心配で、長く長く感じました。

 

窓から入ってくる

あたたかい陽の光を眺めていると

 

赤ん坊の力強い

「 おぎゃー 」という

泣き声が聞こえてきました。

 

「 あっ、生まれた 」

 

そこからすぐに、

エレベーターの扉が開き、

妻が赤ん坊と共に戻ってきました。

 

妻に、

「 さっき、赤ん坊の声が聞こえた! 」

そう教えると

看護師さんから

 

「 手術室は2階でここは5階だから

そんなことは無いと思うけどね~ 」と

 

そして

「 ここには新生児はいないから不思議ね 」

とも言われました。

 

それを聞きながら、

妻が「 元気な大きな赤ちゃんよ 」

と言いながら

 

「 この子だったら聞こえるかもね 」

そう笑いかけてくれました。

 

この日のことは

今でもよく覚えています。

 

実家と義両親に

無事に生まれたことを知らせれるために

 

病院のロビーまで降りて

大きな窓から見上げた空は、

蒼く澄んで

雲一つない「 日本晴れ 」でした。

 

10月○○日

新しく家族が増え、3人家族になった日です。

 

父からの相談

電話

 

息子が生まれて、3ヶ月たった頃

私の父から、1本の電話がありました。

 

話しの内容は、

母に孫の顔を見せたいので

 

九州から、

2人でこちらに来ると言うことでした。

 

父に「 車で来るの? 」

そう尋ねると

「 新幹線で行く 」と言います。

 

少し、不思議でした。

父は自動車教習所の教官をしていました。

 

どんなに遠くても、車を使う父が

「 新幹線 」と言ったのです。

 

この理由は、後からわかることになります。

 

 

両親を駅に向かいに行き

自宅に招いて、初孫との対面です。

 

両親とも、本当に喜んでくれました。

 

前の彼女と離婚することを

知らせるために実家に帰ったあの日

 

一緒に泣いてくれた、両親

 

そんな両親が

今は、孫の顔を見ながら

本当に喜ぶ姿は心から嬉しかったです。

 

少しは親孝行できたように思いました。

 

両親が自宅に来て2日たったころ

父から、

私に「 話がある 」と言われました。

 

久しぶりに真剣な顔をする父をみて

いやな胸騒ぎがしました。

 

話の内容は、

母は職場の人間関係で

早期退職して、最近塞ぎがちだったので

 

初孫の顔をみれば

少しは違ってくるのではと思い

 

しばらく、預かって欲しいとのことでした。

 

妻に相談したら

こころよく了承してくれたので

しばらく母を預かることに

 

妻は母のことも大切に思ってくれて

 

2人で仲良く話す姿は

見ていて心が温かくなって

 

この風景がいつまでも続く、

そう心から信じていました。

 

ところが数日後

母の異変に気付くことになります。

 

まさか、母が病気だと

医師から知らされることになるとは

想ってもいませんでした。

 

 

母の病気

MRI検査

母が来て、数日が経っていた

よく晴れた日の朝

 

母がめずらしく、

朝起きてこないので部屋をのぞくと

 

布団の上に座り

肩を抑えて、つらそうにしていました。

 

心配になって

母に「 どうした、大丈夫? 」

と声をかけると

「 肩が痛くて手を動かせない 」といいます。

 

急いで、近所の病院に向かいました。

 

診察してもらい、

母の肩の診断がおりました。

 

肩に、水がたまっていて

肩の水を、二、三日抜く必要があるとのこと

 

しばらくは通院になりました。

 

次の日、また母と一緒に病院を行き

診察の順番を待っていると

 

突然母が、

 

「 私はなんで、ここにいるの? 」と

聞いてきました。

 

私はびっくりして

 

「 もうぼけたね、肩の水を抜くためよ 」と

母に言います。

 

それでも、母は

不思議そうな顔をしていました。

 

母の診察が終わり、

今度は医師が私だけを呼びました。

 

医師に、

「 肩の状態が酷いのでしょうか?」

と尋ねると

 

肩はそこまで心配ではなく

 

母の受診の際の

様子がおかしかったとのことでした。

 

そして医師から

「 一度、精神科の受診をお勧めします 」

と言われました。

 

家に帰り、妻と相談してすぐに

精神科を探すことにしました。

 

次の日

職場の店長・パートさんに、相談すると

有名な精神科を教えてもらい受診することに

 

教えてもらった病院を

おとずれ診察をしてもらい

結果を聞いた時は自分の耳を疑いました。

 

簡単な計算ができない

新しい事が記憶できない

ショックでした。

 

母は長年、学校関係で

事務員として簿記の仕事をしており、

 

それとは別に

親戚の事業の帳簿も管理していたので

計算が出来ないことは信じられませんでした。

 

そして、医師から告げられたのが

「 一度、脳の検査を受診してください 」でした。

 

精神科の医師から

広島の大学病院に紹介状を書いてもらい

次は、大学病院での検査でした。

 

この頃は、母も不安そうな顔をしていました。

 

しきりに、

「 どこも悪くないのにまた検査なん? 」

と聞いてきます。

 

母には、

「 定期検診だよ予約しとったろ? 」と

思わず嘘をつきました。

 

なんとか無事に

母は納得してくれました。

 

広島の大学病院で

朝から脳のMRI検査がはじまり

いろんな検査が終わったのが

午後3時ごろです。

 

それから

診察室に私だけ呼ばれました。

 

その時に、医師から

 

「 お母様は、若年性アルツハイマー病です 」

と言われました。

 

そして、もうすでに

脳の萎縮は始まっており

 

現時点では、治す薬は無いとのこと

 

「 今からは介護が必要になるので

覚悟しておいてください 」

そう告げられました。

 

母はこのときまだ55歳でした。

 

母は小さい頃

 

母の叔父にあたる「 ○○家 」に

養女としてだされています。

 

一昔前に流行した

NHKの朝ドラ「 おしん 」

 

あれを見るたびによく

「 私と同じね 」というくらい

散々苦労していた母は

 

以前から、仕事を退職したら

私にやりたい事を嬉しそうに

教えてくれていました。

 

それが出来ると

そう信じていた、母

 

それがかなわない現実

とても悔しかったです。

 

なぜ、母なんだ

 

なぜ、今だったんだ

 

これからだったのに・・・

 

絶望感が湧き上がり

周りの音が聞こえなくなりました。

 

ふと、母の顔を見ると

何事もなかったように微笑みます

あの時の母の姿は

 

何年たっても忘れられません。

 

 

自宅に帰り、妻にすべてを話しました。

妻は驚き、涙を流します。

 

私も大声で泣きたい気持ちでしたが

隣の部屋にいる母に悟られないように

必死で涙をこらえました。

 

母の様子を見に行くと

母は息子をあやしてくれていました。

 

むかし古い写真でみた

 

長男の私をおんぶして

笑っているあの時の笑顔で

 

生まれた息子をあやす、母の姿

 

母が孫だと認識している

この姿を見ることが出来たことは

本当に良かった

そして、嬉しかったです。

 

だから、父に連絡しました。

母の病名とこれからのこと

 

父は黙って聞いていました。

 

「 わかった 」というと

広島に来る少し前の

様子を話してくれました。

 

同じ事を2度いいだした

忘れることが多くなった

常に目が離せなくなった

 

そう教えてくれました。

 

今回、父が新幹線で来たのは

そういう理由だからでした。

 

それから

その二日後に、父は母を迎えに来ました。

 

父と私と妻で

今後のことを話し合いました。

 

私が「 実家に帰ろうか? 」と言いましたが

 

父は

「 田舎に来ても職はないぞ 」

 

「 心配せんでも母さんの面倒は俺がみる 」

そう言ってくれました。

 

それを聞いて

父に母のことをお願いしました。

 

それからしばらくは

父が母を面倒を見ていたのですが

 

 

今度は父が・・・

 

区切り線

ここまでお読みいただき

本当にありがとうございます

 

この続きは、次回とさせていただきます。